歴史

伝説のスポーツカーメーカー

ブガッティの創始者、エットーレ・ブガッティは1881年、イタリアのブレシアの芸術家の一族の家に生まれた。若くして多くの自動車のエンジンの設計に携わり、さらには1909年自動車会社を設立、自ら自動車の設計を始めるようになり、高級クラスの市販車とグランプリレースで活躍し、知名度をあげた。

その後イタリアから当時ドイツ領であった(現フランス領)アルザス地方のモルスハイムに移った。エットーレは多くのエンジンを設計し、レースではフランス・グランプリでの勝利に始まり、第1回、2回、3回モナコグランプリでの3年連続優勝、タルガ・フローリオでの優勝などの成績を残した。

その後は機関車、飛行機の設計を行ったが、商業的に成功しなかった。1939年、エットーレの息子、ジャン・ブガッティがレースカーのテスト中に事故死、会社の業績も下向きとなった。さらに第二次世界大戦でモールスハイムの工場は破壊され、そして1947年にエットーレ・ブガッティが他界。その後はLevallois工場で飛行機用エンジンを細々と生産しイスパノ・スイザに納入していたが、1963年にフランスの製造業社イスパノ・スイザに吸収され、さらに1968年にスネクマ(現・サフラン)に吸収され、現在はサフラングループ傘下のメッサー・ブガッティとして飛行機のブレーキ・ホイールを作成している。

110年目の復活

EB110 GT SS1987年、イタリア人実業家ロマーノ・アルティオーリがブガッティの商標を手に入れ、イタリアのモデナにブガッティ・アウトモビリ(Bugatti Automobili SpA )を設立。1989年、ついにその復活プランが発表され、1991年にはEB110GTを発表。1993年にはEB112とよばれるセダン型のプロトタイプも発表。当時日本で輸入元に選ばれたのはニコル・レーシング・ジャパン。

EB110は3,500ccV型12気筒エンジンにクアッド(4基)の石川島播磨重工業製ターボチャージャーを装備し、ドライブトレインをフルタイム4WDとしたスーパーカーであった[1]。当初マルチェロ・ガンディーニによるデザインでプロトタイプが製作されていたが、発表された生産型は自社によるデザインであった。またEB112はジウジアーロによるデザイン。ジウジアーロは、後に3台のコンセプトカー(EB118・EB218およびEB18/3 シロン)のデザインも行っている。

アルティオーリは1993年にロータスをゼネラルモータースから買収するなど過大な投資のために財政が破綻、1995年に倒産した。それに伴いEB110の生産も終了、総生産台数は154台であった。

その後ブガッティの技術者たちはパガーニ・アウトモビリを設立、1999年にパガーニ・ゾンダを発売している。

フォルクスワーゲン傘下のブランドに

1998年にブガッティ・アウトモビリSpAからフォルクスワーゲンAGが商標権を買い上げ、ブガッティ・オトモビルを設立。フランスのアルザスに本社を置いた。